ミャーク、宮古的な心意気、響きを皆さんと分かち合う

久保田麻琴(原案、監修、出演)

第三回:ミャーク、宮古的な心意気



〜神歌の東京公演では、神歌を初めて聴くにも関わらず、多くのリスナーがおばあたちの歌声を聞いた瞬間に涙を流していました。


「司たち(神事を司る女性)は祭祀を始める一年前にくじで任命されるのですが、彼女たちは自分が司に任命されることを事前に夢で見ていたと言うんです。まるで南アジアかアフリカの民話のような世界。そして一年のうちにプロのお坊さんか神主のように何時間分もの歌を暗記する。今でこそノートに書き込んで覚えるけれど、10年、20年前までは全部口伝えで覚えたというんです。とても信じがたい人間の能力です。
 明治になり、宮古は日本の一部、沖縄の一部になり、戦争もあり、米軍も入ってきて、日本に復帰もした。そして土建屋が来て、橋や道が出来て、テレビもクーラーも入ってきた。それでも何かが残っている。我々には信じられないような神秘的な儀式や、古代の神話の世界だと思っていたことが今も人の心に残っている。インターネットもスーパーマーケットもある現在の宮古に残っている。それこそ宮古のキモだと思うんです。私はこの四年間、宮古に足繁く通い、宮古のために何かしたいと突き動かされたのは、このことを広く知らせたかったからです。
 それともう一つ、宮古の言葉の中には万葉時代、上古代の日本の言葉の含有率がとても高いんです。するとおそらくその頃のヤマト的、日本的な心が宮古には残っているのではないかと。もちろん地理的に中国とも近いし、海を行けば台湾、フィリピンまで行ける場所なのでアジア的な要素も相当あると思いますよ。池間の人々を見ればわかるとおり、普通の日本人よりも身体も大きいし、顔も濃い。しかも気も強い。きっと色んな漂着なり、混血なりがあったはず。それと同時に古い日本性が残っている。このことに対する驚きというか、切なさというか、サウダージ(郷愁)を感じたんです。逆に言えば、日本も2000〜3000年の歴史の中では色んな漂着があり、原住民的な要素もあったはず。我々が正しい歴史だと教え込まれていることは奈良時代以降のたかだが1500年くらいのものでしょう。もし日本列島と日本語の歴史を考えれば、我々はほんの一部しか知らないということになる。私が宮古にたどり着いたのは、誰も教えてくれない、そういうところに手を突っ込んで自分で触ってみたかったという希求があったからです」


〜映画の中でも、教科書では伝えられなかった歴史がおばあたちの言葉と歌声によって語られていると思います。


「ミャーク、宮古的な心意気、響きを私も学び、皆さんと分かち合うということが重要な気がします。日本はこれまでアジアをリードしてきたはずなのに、今や負け組っぽくなっていて、その上負けていることにも多くの日本人は気づいてもいない。同じく負けているアメリカやヨーロッパだけを見ているからね。でも、負けは試練でもあると思うんだよ。ここで「ミャークネス」、「ジャパンネス」をどう出すかが重要だと思う。宮古は300年近く奴隷制が敷かれていたんだよ。士族が奥さんや娘を寄越せと言ったら、島民は差し出さなければならなかった。そんなバカな話、奴隷時代のアメリカの農園でもなかったと思う。酷い理不尽が長年彼らを縛りつけた。その中で彼らは祈り、自分たちのDNAを鍛えたんだろうな。(黒人奴隷の末裔である)ジャマイカ人が逆説的なエリートと言われるのと同じ意味で、宮古人はエリートだよ。
宮古人は小さな穴から世界を見て、世界の問題を感じているよ。彼らはそういう体験を300年近くもしていたんだから。そしてミャークという大きなコスモロジーを持っていた。しかもそこには霊的なシャーマンがいるんだ。こんな小さな6万人の島にだよ。こんな島が世界のどこにありますか? 
 私はその宮古の脈々と続く「響き」を預からせてもらった。この宝箱はとても大きいですよ。皆さんとシェアすれば宮古の宝はもっともっと大きくなると思うんです」




聞き手:サラーム海上 2012年7月5日 池尻大橋 太陽にて